池田 悟≪作曲家≫のArabesque

Universal Editionから出版:《無伴奏チェロソナタ》、弦楽四重奏曲《双葉》

オーケストレーションの初歩

思い込み

池袋にある僕の作曲教室に来ている生徒の2人に1人はオーケストレーションの初歩を学んでいる。
初学者はとかくオーケストラの複数の楽器をユニゾンで重ねがちだ。その方がしっかり鳴ると思うのか、楽器の使い方として贅沢だと感じるのか、沢山音を書いた方が譜面の見た目が華やかで、本人の満足感が得られるからか。確かにロマン派以前、オーケストレーションがまだ科学になっていなかった時代はそんな例もあった。
だがそれを手本にしてはいけない。現代の洗練されたオーケストレーションはそんなことはやらない。いずれも余程の理由と才能がない限り、下手な策略に過ぎない。

池袋・ルミネから望む

高校時代

僕は藝大に入るまでオーケストレーションを教わらなかった。それでもオーケストラの曲を書きたい思いは高校の時には募っていた。シューベルトの「未完成」のピアノ編曲譜とオーケストラ・スコアを買い、ピアノ譜を見て自力でオーケストレーションすれば勉強になると思った。写譜ペンも買った。スコアを数小節書いた。そしてたちまち挫折した。合理的な勉強法では無いことや、独学では無理だという事を悟ったのかも知れない。大体、冒頭の主題、クラリネットオーボエをユニゾンで重ねるなんて、普通の高校生が思いつくか!名作は教材にはなり得ない。

佐藤眞先生のレッスン

藝大に入る前、静大の大槻先生から、現代のオーケストレーションを学ぶなら佐藤先生しかいない、と言い聞かされていた。
静大卒業と同時に藝大別科に入り、目標を佐藤先生に訊かれた際、「大学院に行きたいのでオーケストラの曲を書けるよう、ご指導頂きたい」と答えた。
ドビュッシーでもベートーヴェンでも、ピアノ曲を編曲して来なさい」と言われ、ベートーヴェンの最後のソナタの第1楽章、序奏から提示部に入ったところまで編曲した。
序奏、複付点の和音がピアニッシモで一つずつ打たれる度に調が変わるようなところが全く反映されていない、と指摘され、「ポリーニシュナーベル(モノラル・全集の中)の原曲の演奏を聞くこと」と余白に赤ペンで書いて下さった。一方、「作風とか語法とかにオーケストレーションは結ばれている←オリジナル」とも書いて下さり、それゆえ編曲は終了し、次週から自作のオーケストラ作品を持って行った。

管弦楽法のいろはも分からず、見様見真似で背伸びして、必死で書いたその代物は、先生から編曲作品の数倍の量と迫力で、スコアを叩き潰さんばかりに赤ペンで殴り書きされた。
「一つの楽器で出来ない音色を目ざす場合は仕方がないが、音量を狙って書いてはいけない」
「どちらか一方に表現を絞ること(相矛盾したままで、オーケストレーションしないように)」
「soloとa2, a3では より≪非個性≫になって行く」
「≪粗≫大化」
「異質な音色の場合(混合:筆者注)は冴えない音になりやすい!」…等

そしてそれは作曲科の友人の誘いを受け、直ちに10人の金管と3人の打楽器とテープのための作品に変わり、6月下旬、新宿NSビルのロビーで行われた芸術系公立大学の交流祭で、自分の指揮で初演した。
大槻先生が聴きに来て下さった。